哲学でVTuberの謎に迫る:バーチャルと現実の狭間で紡がれる魅力

       東京大学 大学院総合文化研究科 VTuber哲学研究者 山野弘樹さん

 マスコミやテクノロジーの発達と共に、人々の娯楽が多様化した。Netflixなどでのオンライン映像鑑賞から、YouTubeのライブ配信に至るまで、人々とネット世界とのやり取りは自由度が増し続けている。コロナで外の世界と触れ合う機会が少なかったことで、ネット世界は更に人気が増した。中でも注目を集めているのは、バーチャルYouTuber(以後VTuber)という存在だ。VTuberというのはYouTubeをメインプラットフォームとして活動している、アニメキャラクターの見た目をしているアバターで、文字通り、バーチャルな存在だ。見た目がアニメキャラっぽいので、「VTuber文化=二次元文化」と認識している人も少なくないが、実はそう単純なものでもない。現に、VTuber文化を哲学的な観点から研究している人がいる。東京大学の大学院総合文化研究科博士課程に在籍している山野弘樹さんだ。今日は山野さんに伺った、VTuberとの出会いや、VTuberという存在に関する哲学的知見についてお届けしたい。

出会い:問い始めた契機

 山野さんのVTuberとの出会いは、YouTubeから勧められたあるゲームに関する動画投稿を見た時だった。アニメキャラクターのような見た目をしているのに、人間の個性を持っているかのような生き生きしているVTuberという存在に衝撃を受け、感動させられた。 

 しかし、家族や友人に好きなVTuberの魅力を紹介しようとした時にちゃんと説明できなかった。「VTuberはフィクションなの?」という問いに「違う」と答えたものの、フィクションの要素もあるように見える。自分が好きになった、このVTuberとはどういう存在なのかを理解したかった。そのためには先ず、フィクションとは何かという問題を考えなければならなかった。

 単にフィクションではないし、単にリアルでもないものを、とりあえず「バーチャル」と山野さんは考えた。しかし、「リアル」とは何か、私たちが見ている現実をどう定義するか、フィクションとは何か。そういう質問の答えを明らかにしないと、「バーチャル」とは何かという質問には答えられない。こうした本質的な問いを突き詰めていくのが山野さんのご専門である哲学だ。

 山野さんが哲学的にVTuberについて考察を始めたのにはもう一つの理由がある。

 「裏を返すと、私は、こういう存在(VTuber)を好きなんだなということを理解することによって、私は私自身のことを理解したかった。こういう存在だから、こういう対象を好きになったんだろう。好きになった対象への理解を深めることで、その対象が好きな私自身への理解も深めるっていう、ある種の二正面作戦ですよね。好きな対象も理解し合いし、それを好きな自分も理解する

本質を探究する:VTuberの文化的なルーツは?

 「VTuberとはどんな存在か」という質問に答えるため、先ずはVTuberの存在に不可欠な文化について話さなければならない。山野さんによると、VTuberの存在は、二次元文化、ストリーマー文化、アイドル文化1、ニコニコ動画文化2などの先行する様々な文化に下支えされていて、こういう「文化的なルーツ」があるからこそ、VTuber文化は輝いて見えるそうだ。ここでは、その中核をなす二次元文化とストリーマー文化に焦点を当てて説明したい。

  • 二次元文化:漫画、コミック、アニメ、ゲームやライトノベルに代表される二次元文化は日本から始まった独特な文化だと言っても過言ではない。この文化はVTuberにも受け継がれていうる。華やかな服装のイケメン、大きい目のメイドの女の子というように日本で人気があるVTuberはアニメアバターで、そのようなアバターを採用するのは日本特有の現象である。その見た目こそが海外の人も含め、VTuberの魅力であると考えられている。
  • ストリーマー文化:VTuberはストリーマー文化とも密接な関係がある。ストリーマーというのは、ライブ配信をする人を指す。初期のVTuberは動画投稿をメインにしていたが、現在はライブ配信をするVTuberのほうが多い。VTuberが「ストリーマー大賞」を受賞したこともあり、ということは、VTuberもストリーマー文化の一部と理解されていることになる。

 以上の二つの先行文化は、VTuberの存在にとって最も大事な要素である。面白いことに、VTuberが現れる前に、その二つの文化が融合することはなかった。つまり、二次元文化を代表するアニメの登場人物が動画配信や生配信をすることは、なかなか想像できないことであった。なぜかというと、その登場人物はすでにアニメの物語に根ざした自分の個性があり、アニメのプロットを逸脱し、日常生活やゲームについて語るのは違和感が感じられるからだ。逆に、元々顔を出して配信をするストリーマーが、二次元のキャラクターのようなアバターを用いたことを、視聴者が受け入れないこともあった。これまでになし得なかった二次元文化とストリーマー文化の見事な融合こそが、VTuberの魅力である。それを基盤として、さらに一人ひとりのVTuberが他の文化的なルーツを選び取って展開させた結果、VTuberには多岐に渡る特色が見られるのだ。 

存在に肝心なアイデンティ:VTuberの場合は?

 先ず、「VTuber」と言っても、その存在は、単一ではない。VTuberがVTuberとして活動するには、動くアバターと、そのアバターをモーションキャプチャーで動かしている「中の人」、つまり本物の三次元の人間がいなければならない。

 VTuber(アバター)とそれを演じている「中の人」は同じであるという学説があるが、山野さんはその見解に反対だ。なぜかというと、VTuberとして活動している時と普通の人間として日常生活を過ごしている時のアイデンティティは違うからだ。二つの異なるアイデンティティがあるため、その両者を別々の存在として捉えるべきだと考えたのが、山野さんがVTuberのアイデンティティ論の研究を始めたきっかけであった。そして、これまでに、3つの哲学的な学説を形成した。

 20世紀フランスを代表する哲学者の一人であるポール・リクールPaul Ricoeur(1913年2月27日-2005年5月20日)のアイデンティティ論(物語的アイデンティティ論と倫理的アイデンティティ)に基づき山野さんはVTuberのアイデンティティを以下の様に考える。

  • 物語的アイデンティティ:簡単に言うと、この学説は自分の人生を一つの物語として捉え、自己のアイデンティティはその物語の中に自分を位置づけることによって生じると主張する。だとしたら、VTuber(アバター)の活動は、配信者(「中の人」)の人生の物語と切り離されているため、「中の人」の日常的な物語とVTuberとしての存在の物語は違う物語であるということになる。つまり、物語が異なる以上、物語的アイデンティティも異なるわけだ。このようにして、VTuberのアイデンティティと「中の人」のアイデンティティの二つは異なる存在であるということが証明される。
  • 倫理的アイデンティティ:この学説によると倫理的アイデンティティとは、「これが私である」と自分が受けいれた自己理解ということである。ここで使われている「倫理的」という言葉は、モラルに近い、人として守るべき道を指している。例を挙げると、VTuberの場合配信中に「中の人」に関する個人的な情報がばれて、弾幕(リアルタイムコメント)で言及された時、それを無視することが多い。なぜかというと、VTuber活動をしている時のVTuberは、まさにそのVTuberとして存在していて、自分のアイデンティティをVTuberとして認識しているため、弾幕に投げられた情報はその時の「自分」とは無関係だからだ。山野さんはこの状態を、VTuberが「倫理的なアイデンティティを獲得している」と、定義している。つまり、VTuberのアイデンティティと「中の人」のアイデンティティには断絶があり、よって二つの個別の存在として理解されるべきだということだ。

 以上の二つの理論に基づき、VTuberのアイデンティティと「中の人」のアイデンティティが異なる存在であることを前提とし、山野さんは最新の研究成果として、  VTuberを、「中の人」から独立した存在を獲得している「制度的存在者」であると説く。

  • 制度的存在者:大学の比喩を用いて説明すると、大学というものは、キャンパスや建物、大学を構成する大学生や教職員、或いは大学に関する様々な規定によって初めて存在する。キャンパス構内のある建物を指し、それが大学だというのは不可能であるように、単にVTuberのアバターを指し、それがVTuberだということはできない。VTuberのアバター、「中の人」、配信環境や観客、色々な条件が揃って初めてVTuberが存在し得る。それらの全ての要素がVTuberとしてのアイデンティティはそれらの全ての要素に構成されている。「中の人」も一構成要素として重要な存在ではあるものの、それがそのままイコールVTuberではない。VTuberは「中の人」とは別の、制度的存在者である。

次元の壁を突き抜ける:VTuberの存在は何処に?

 これまではVTuberのアイデンティティについて考察してきたが、では、そもそもVTuberはどこに存在していると言えるのだろうか。我々が住むこの世界にVTuberが存在しているのは確かなことだが、我々が住むこの三次元の世界の中に二次元の空間も存在している。もし二次元がフィクションの世界を指し、三次元が現実の世界を指すとするとしたら、VTuberは二次元の存在でもあるし、三次元の存在でもあると言えることになる。なぜなら、アバターの描かれ方にせよ、行為主体にせよ、VTuberは二次元と三次元という二つの次元の特質を兼ね備えているため、その存在を複数の次元で考えることができるからだ。

 VTuber を2.5次元の存在だと認識する人も少なくないが、山野さんによると、2.5次元はコスプレイヤーなど、現実の世界に存在している生きものが、虚構の世界の存在(キャラクター)を自分の身体を使って表現することを指す。であれば、VTuberは明らかに2.5次元ではないと言える。というのは、VTuberのコスプレをしている人もいるからだ。VTuberの存在を演じるコスプレイヤーがいる時点で、VTuberは2.5次元の存在ではないことになる。なぜなら、そのコスプレイヤーこそが2.5次元の存在であり、2.5次元の存在に表現されるVTuberは別の次元に存在することになるからだ。

  • アバター(描かれ方):描かれ方による区別は最も簡単で、直観的である。VTuberはlive2d3と呼ばれる技術で作られたアバターを持っていることが多いため、二次元の存在になる。その他、3dのアバター4を持っているVTuberもいて、その意味で三次元の要素も存在している。
  • 行為主体:行動を行う主体としては、VTuberのアバターと、モーションキャプチャーで動いている現実の人間の二つがある。「中の人」が存在しているからこそ、VTuberのアバターは動くことができる。三次元のメディアを代表するストリーマーとして配信ができるという意味において、行為主体は三次元の存在であると言える。一方、表を司るアバターがあるからこそ、VTuberは二次元文化に立脚できているわけだ。ということは、VTuberはフィクションの世界、言わば二次元の世界にいる二次元の存在でもあるし、同時に現実の世界にいる三次元の存在でもあるということになる。

 アバターの描かれ方と行為主体のどちらを考察しても、VTuberは二次元かつ三次元の存在であることがわかる。つまりVTuberは次元の壁を越える存在であるのだ。

動向からの推察:VTuberの未来は?

 これからも発展し続ける業界であるVTuberには、現在も様々な動向が見られる。山野さんによると、二つの傾向が顕著である。一つ目は、VTuberの体を手に入れることで、新しいアプローチ、言わば自分の売り方や見せ方を変えることが可能になるため、現実の世界で活動している人が後からVTuberに転向するケースが増えているそうだ。例えば、アイドルグループの『モーニング娘。』元メンバーの後藤真希が最近VTuberとしてもデビューした。

 言い換えれば、今後「中の人」のアイデンティティを明らかにしながらVTuberとして活動する人が増える、と山野さんは考えている。VTuberと「中の人」が共にVTuberとしてのアイデンティティを築くのは、まさに山野さんの「制度的存在者」としてのVTuberの実例として興味深い。

 二つ目の傾向は、VTuber業界は今後ますます総合芸術化が進むということだ。既に、芸能人のように、歌、ゲーム、踊りが上手なVTuberも出現している。声の良さのみならず他の色々な要素も重要視されるため、プロのVTuberとしてやっていくともなると、今以上にスキルや強みが問われるようになるはずだ。芸能人のような特別な才能がなければ、注目されにくくなるのは、VTuber業界の芸能界化の結果であろう。

 以上をまとめると、近年生まれたばかりの新星であるVTuber文化はエンターテイメントとして楽しめるものであると同時に、まだ謎めいた存在でもある。その謎を探求し続けるのがVTuberの哲学であり、これからも山野弘樹さんのおかげでどんどん色々な事柄が解明されていくだろう。

 多元的、多面的であり多岐に渡るVTuberは、人々の暮らしにじわじわと浸透し続け、我々の心を掴んでいっている。未だ発展途上であるVTuberの魅力は何かと問われても一言で表せるものではない。1つの「正しい」答えなど存在しない。千人の心に千人のハムレットがあるように、VTuber自身もVTuberファンも各々の見方や価値観により、VTuberの無限の可能性を発掘していくことができる。今後も、VTuber文化の発展を注視したい。

  1. アイドル文化
    アイドルと言ったら、一人、或いは数人のタレントがステージに立って活動するイメージが多い。ファンは自分の好きなアイドルを支えるため、大量のグッズ購入など多額のお金を使う。VTuberの業界においても、自分の「推し」、つまり好きな対象を支えるためにお金をおしまないというファンの心理が見られる。輝いている「推し」を応援したい、自分の存在を知ってもらいたいという気持ちはまさにアイドルに対するファンの気持ちと同様である。
    ↩︎
  2. ニコニコ動画文化
    ニコニコ動画はYouTubeと似ているプラットフォームだ。実写映画や実況配信など三次元のことがメインのYouTubeとは異なり、その投稿はたいていアニメや漫画など二次元に関するものである。そのプラットフォームにおいて色々な文化が育まれてきたが、最も有名なのはボーカロイドである。その代表例である初音ミクの名前を知らない人は少ないだろう。日本のVTuberもボーカロイドの歌をカバーすることがすごく多いので、ニコニコ動画の影響力が見て取れる。
    ↩︎
  3. モーションキャプチャーが撮った「中の人」の簡単な動き(目や頭の上下左右の動き、手を上下に振る動作)がそのまま平面的なアニメアバターに反映されているのが、二次元のアバターである。 ↩︎
  4. 3dのアバターの場合、まさに人の全身の動きがモーションキャプチャーで取り込まれて、3dモデリングで3dアバターとなる。 ↩︎

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